Something

Takeshi Hirano

山の上のキャビン

2022.11.22、pm3:30に訃報電話がはいる。同業者でもあるAが2時に亡くなっと彼の三女からの電話だった。Aは昨年の夏頃から急激に体調が崩れ始め、入院する事になった。コロナ惨禍なので面会にも行くことが出来なかった。数ヶ月前にようやく電話連絡が取れた。電話口では看護師さんの付き添いで、私が呼びかけるが、反応も悪く、声もか細い。彼にはわたしのことがよくわかってなかったかもしれない。スポーツ万能で豪快な笑いをする彼の印象はすっかり影を潜めてた。ところで、祭壇には彼のすてきな笑顔と優しい表情の遺影が皆んなに何かを語りかけているようでした。「よう、会いに来てくれましたね。有り難う。」って。残念で言葉がなくなる。

帰りの列車の中で自分がいる車両に誰もいない時間帯がうまれた。疲れたのか、うたた寝したようだ。1985年にタイムスリップして彼と作った「山の上のキャビン」の物語が展開していた。

山の上のキャビン
The Gate to something in the Mountain since 1985 March
On this mountain We seek What H.D.Solou and Gaily Shunizer sought A simpler life and a higher spirit Our best

T.Hirano

この英詩は低き生活、高き想いという精神を求める心を書いたものである。
英詩は私に内在し、やがて・・・1985年の春から2年がかりで広島県河内町の白竜湖近くにある山に”The Gate to Something”という丸太小屋を建設する壮大なプロジェクトへとつながった。

そこは私の動物病院から車で一時間半のところにあり、平日は毎日早朝に出かけていき、日曜日は午後、1~2時間を割いて丸太小屋作りの作業にいそしんだ。

丸太小屋の外観は、ロンゴ族の伝統的な高床建築写真を参考にした。さらにエジプトのピラミッドをイメージの中に重ね、特に図面を作成することもなく、完成予想図のイメージを一枚の水彩画にしていた。

ただただ勘に頼りながら、黙々と作業をつづけた。そのうちに何人かの友人が手伝ってくれるようになり、お互いの家族や知人たちも集まってくるようになった。おかげで私にとっては、とても楽しい思い出になった。

そもそもその場所はAの父上から借り受けた山であり、実は上述の作業に取り掛かる前に六百坪程度の地面を整地するために半年を費やしている。使ったことのないチェーンソーをむやみに振り回して、伐採した樹木が公用の道路を通行止めにしてしまうことが何度もあった。要するに無鉄砲なのである。後先を考えず、猪突猛進で前進あるのみ、それでも結果オーライなのだから自分は実に強運の持ち主だと自惚れるのである。山の上のキャビンは着々と出来上がっていった。若干の斜面に土台木を打ち込んだため、床面の水平を出すのに苦労した。垂木の上に板を敷き、さらに床面の両端にボルト止めした2本の柱をロープで引き上げて、三角形の二等辺にあたる部分が完成した。そのとき何故か崇高な気持ちになり、キャビンに対する信仰心のようなものが芽生えたことをはっきりと覚えている。

この頃になると、妻や子供たちも私たちの熱意にほだされてきたのか、日曜日毎に参加して、材料となる材木の樹皮を剥いてくれるようになった。その姿を眺めながら、さながらアドベンチャーファミリーだなとほくそ笑んだ・・・。そして、私のやる気は最高潮に達していった。屋根の合板張り、内装、囲炉裏作り・・・着々と山の上のキャビンはそれらしい姿になっていった。

やがて冬がやってきた。寒い上に、物珍しさも失せたのだろう、友人たちも妻も子供たちも、ピタリと足を運ばなくなっていた。一方、作業はいよいよ最終工程となった。屋根の瓦葺きならぬ空き缶貼りである。公園や道端に転がっている空き缶をせっせと拾い集め、金切り鋏で切って平板状にし、延々と屋根に貼りつづけていくのである。唯一残った相棒(A)と二人、黙々と同じ作業を繰り返した。金槌を片手に釘で空き缶を打ち付けていくのだが、寒い中、何度も釘ならぬ指をしこたま打ってしまい、泣きそうな思いで、「オレはなんて馬鹿なのだろう…」と、低く垂れ込める曇り空を仰いだ。結局、その作業は空き缶を2,500枚貼るまでつづいたのである。

年の暮れ、山の上のキャビンは完成し、12月31日大晦日、唯一残った相棒と2人でめでたく新年を迎えることができた。こうして2年に及ぶ山の上のキャビンの物語は終わろうとしていた。私が夢想したのは、直径4キロメートルに及ぶため池の周囲を馬車で駆け抜け、子供たちの歓声に包まれながら手綱を操る自らの姿だった。たった一晩過ごしただけで、山の上のキャビンは幻となった。

追記:キャビンとともにあったBGM

 キャビン作りもあと屋根の空き缶貼りを残すところまできています。冬の寒い雪積もる中で、その頃、ある素晴らしい映画と挿入歌に出会っていましたので、映像とSongが出て来て励ましてくれたのです。

イタリア、アッシジのフランチェスコ(小鳥に説法するので有名)の半生を描いた「ブラザー・サン・シスター・ムーン」監督はフランコ・ゼフィレッリ…フランチェスコは「神の声」を聞いて「サンダミアノ教会」の再建に取り掛かります。

 San Damiano Song From the Film: Brother Sun, Sister Moon Lyrics by: Donovan If you want your dream to be, Build it slow and surely.

夢をまことに思うならば 焦らずに築きなさい その静かな歩みが遠い道を行く 心をこめればすべては清い

中略 ※1

Day by day, stone by stone,Build your secret slowly.Day by day, you’ll grow, too,You’ll know heaven’s glory.

日ごとに、石を積み続け、焦らずに築きなさい、日ごとにそれであなたも育つ、やがて天国の光があなたを包む

※1 Heartfelt work grows purely.If you want to live life free,Take your time go slowly.Do few things but do them well.Simple joys are holy.

2022.11.25.秋晴れの心地よい午後だった。診療前に例年、黄葉目当てに堀越公園のそばの大きな銀杏の木の写真を撮りに行く。今年も見事な黄葉でした。それに二人の方が一生懸命に道路に散った落ち葉を集めていらした。 

合掌
令和4年12月1日 記