Something

Takeshi Hirano

リンダとラッキー

診療記7(リンダ&ラッキーの旅立ちから)

リンダとラッキー、二匹のゴールデン・レトリバーの名前だ。リンダは当動物病院に昨年の十二月中旬まで暮らしていた。一方ラッキーは東区の温品に住むSさんの家に去年の四月まで暮らしていた。リンダは十三歳九ヶ月、ラッキーは十五歳三ヶ月で天寿を全うした。ゴールデン・レトリバーの平均寿命は十歳位だから二匹共長生きの部類に入る。

腎不全の末期状態で予後不良のゴールデン・レトリバー、十三歳の姫ちゃん、ここ一週間ばかり、点滴に通ってきている。おしっこはできなくなったし、吐き気も止まらず、すっかり衰弱してしまっている。前日の治療のとき、飼い主さんから
「もう、苦しませたくない」
と言ってきたため、苦渋の選択として安楽死を勧めた。私たち獣医師にとって、もっとも辛い場面だ。そのとき、以前、腎不全で亡くなった「ケンちゃん」のことを思い出した。約二十年前のことである。当時の診療記を探してページを捲ってみた。ここで内容の一部を披露してみよう…。

八歳の雑種で雄犬の「ケン」、体重が二十キログラムもある大きな犬だった。初めて来院してから二十日近くが経っていた。飼い主のYさんに抱かれているケンちゃんは実に甘えん坊に見えた。Yさんは口癖のように、
「私達には娘しかいませんので、この子が私どもの長男です」
と言っていた。そのとき私は「幸福な犬だなあ」と思った。ケンちゃんはここ数年、よく水を飲み、頻繁におしっこをするようになったという。ここのところ、食べた物をもどすようになり、段々痩せてきているそうだ。最近では、食欲も元気もなくなってきている。
種々の検査をおこなった結果、慢性の腎炎により尿毒症を起こしかけているようだ。
「近い将来、激しい発作や引き付けを起こし、苦しみながら死ぬでしょう」
と伝えた…。説明の途中でYさんの目に涙が浮かんできた。
「先生、できるだけ一緒にいる時間が欲しいので、治療は通院でお願いします」
Yさんの頼みにうなずいた私は 、点滴をおこなうための留置針を付けて毎日通ってもらうことにした。通院は家族が交代でケンちゃんを連れて来た。治療の間はずっと側に寄り添って励ましの声をかけつづけている。その姿には心打たれるものを感じずにはいられなかった。そのときは、私なりにできるだけの手を尽くし、ケンちゃんが一日でも長くYさん一家と共に生活できるようにしてあげようと考えていた。
しかし、病状の改善はあまりみられず、三月三日の早朝、Yさんから電 話がかかってきた。
「ケンが急に引き付けを起こして、体の力が抜けました。もうだめなんでしょうか」
私は咄嗟に
「すぐきなさい。まだ、諦めないで」
と伝えた。三十分後位に来院してきたケンちゃんに、酸素吸入、人工呼吸、点滴と治療を重ねていった。ケンちゃんは苦痛のあまり、激しく体を震わせて、診察台に大きな体を何度も叩きつけた。その度に、Yさんと二人の娘さんが
「ケン、しっかりして」
と泣きながら叫んでいる。私は無言で治療をつづけた。症状が一応落ち着いてくると、Yさんたちの表情もやわらいでくる。しかし、症状が落ち着くのもほんの短い時間で、また激しく苦しみ始める。そんなことを何度か繰り返しているうちに、これ以上苦しませず、安楽死を選択してはどうかという考えが頭の中をよぎった。しかし、どうしても自分の口からは言い出せずにいた。すると、Yさんが突然、
「先生、楽にしてやってください」
と、泣きながら叫んだ。
動物の命をあずかる獣医師として、いくら苦しんでいるとはいえ命を絶ってしまうという行為には、常に大きな抵抗を感じる。しかし一方で、全力で治療を続けているにもかかわらず、病態の改善がまったく見込めない命をいたずらに引き延ばして、苦しみもがく姿をただ見ているのも非常に辛いと言わざるをえない。加えて、飼い主さんの苦しみを考えると、なおさらその思いはつのる。そのときは結局、安楽死を選択するしか方法がなかった。その後、Yさんは当院の前を通る度に辛い思いをしたということを伝え聞いたことがある。
その話を伝え聞いたとき、自分の中にも後悔が残った。今でも安楽死の問題は自分の中で、何ひとつ解決していない。

 さて、Fさんが飼っていたアンディが亡くなって二週間が過ぎた。
 今年は異常気象で、寒暖の差が激しく、三月下旬にもかかわらず、まるで冬のような一日を過ごすときがある。そうかと思えば、いっきに季節を飛び越えて初夏ともいえるような暑い日もある。

 アンディの住むところは、かつて山だった場所を開発してできた団地だという。高い場所にあるおかげで、前方に黄金山をすっかり見渡すことができる。ほとんど毎日のように往診しているため、ピンク色をした桜の花の帯が日増しに広がっていくという美しい光景を堪能することができた。そうなると早朝出かけることもまったく苦にはならない。
 その日は、小雨の降る寒い日だった。黄金山は白い霧で覆われ、長い間、楽しませてくれた桜も今日で終わりだなと考えた。と、同時にこれまで何度も死線を乗り切ってきたアンディもこれが最後かもしれないと考えていた。
 視線は遠く一点を見つめ、呼吸は荒く、舌の色が白くなって横臥したままである。身体に触れると少し冷たくなってきていた。時計に目をやり、
「正午を待たずに旅立つかもしれません…」
と、飼い主に伝えて病院に帰った。
 午前の診療が終わろうとする頃、Fさんから、アンディが亡くなったという電話がかかってきた。私にはアンディが桜と共に散ったように思えた。桜もアンディも大地へと帰っていったのだ。

 四月二十一日の午後、同業であった獣医師の告別式に行ってきた。故人は私の高校の一学年先輩だった。開業当初はよく行き来していたが、ここのところご無沙汰していた。長い闘病生活をしていたことさえ知らずにいた。会葬の席でご挨拶なさった奥さんの言葉で経緯を知ることができた次第で、いたたまれなくて胸の詰まる思いがした。その話を拝聴しただけで、奥さんが故人を本当に尊敬し、たいへん感謝されているのがよく伝わってきた。

 Kさんのキャバリア、「ミルク」が静かに息を引き取った。当院を退院して4日目のことだった。衰弱が激しく、予後不良で自宅に帰したのだった。死ぬときは自宅に連れて帰り自分の側で看取ってやりたいという飼い主さんの意思を尊重したのである。後日、Kさんから、電話がかかってきた。「四月二十一日の午前零時、安らかに亡くなりました。本当に先生はじめ勤務医の先生、看護師さん、ありがとうございました」

 静かな明るい声だった。そのとき、ある安堵感のようなものを感じた。というのもゴールデン・レトリバーのラッキーが亡くなったときは、飼い主さんの心が落ちつくまで、かなりの時間を要したからだ。いわゆる、ペットロス症候群で苦しんだのである。もしかしたらYさんもそうなりはしないかと心配していたからだ…。

 毎年、盆の前後には動物たちの死に多く遭遇する。今年は六十五回目の原爆記念日にあたる。これまでは原爆が投下された午前八時十五分に黙祷するだけだったが、母親が他界した三年前からは、以前にも増して感慨が深い。
 私の母親は若い頃、直接被爆をしている。慰霊塔に納められた過去帳に記載されているはずだ。そのこともあって、先日、生まれて初めて、平和式典の行われる平和公園にでかけてみた。式典当日ではなかったが、ものものしい雰囲気にけおされた。

 若い頃からガムシャラに突き進んできた私も六十歳を過ぎた頃から、病や死について深刻に受け止め、ひしひしと考えるようになった。そうなると一日一日がこの上なく大切に思えるようになってきた。今、自分がここに存在するのは脈々と途絶えることなくつづいてきた先祖たちのおかげである。それはすなわち天地の道理に導かれて生かされているということに他ならない。

 考えてみれば、四十年近くイヌやネコの診療に携わってきたおかげで、数え切れない誕生と死に遭遇した。生きとし生けるものは、必ずこの世から去らなければいけない定めになっているのである。人間は考える葦という宿命を背負ったためにこの現象を思考しつづけなければならない。

 最近、十一歳のゴールデン・レトリバー、リリアンが旅立った。リンパ腫を患い抗がん剤治療によって一時は病状が寛解したのだがリンパ腫の再発とともに新たな癌が左臀部、肺へと転移し、骨関節症のため立ち上がることもできなくなっていた。やがて、通院も難しくなったので定期的に往診することにした。おそらくこの盆まではもたないだろう。じりじりと日差しの照り付ける暑い日々、私自身、昼間の往診は体力的にきつくもあったが、飼い主さんのリリアンに対する愛情の深さを思うと心を動かされた。少しでも楽に呼吸ができるように、そして、少しでも食欲が増すようにと、点滴をしてあげるくらいのことしかできなかったが、一日でも長く飼い主さんと一緒にいて欲しいと願っていた。
 当然治療への反応は悪く、一日の中でも、特に深夜になると呼吸が苦しくなり、飼い主さんも徹夜の看病がつづいているようだった。肺に転移した癌のせいで呼吸が苦しいリリアンの表情はいっそう辛そうに見えた。私としては安楽死を勧めたいところだが、このときも中々言い出せなかった。
 お盆期間も毎日、リリアンのもとへ通った。好物はなんとか口にしていたが、食欲は確実に廃絶へと向かっていた。この時点で私は遠まわしではあったが、飼い主さんの心の準備を促しはじめた。

 リリアンの飼い主さんがある日、写真アルバムを私に見せてくれた。どれもこれも、ほのぼのした写真ばかりだったが、その中の一枚が特に私の目を引いた。リリアンとリリアンのお母さん、お父さんが勢揃いした家族写真だった。それぞれの犬たちにそれぞれの飼い主さんの家族も加わっている。画面いっぱいの大家族である。
 リリアンには兄弟が十二匹いる。すでに旅立った兄弟も数匹いた。兄弟の中の一匹、Uさんが飼っているボブは、瀕死期のリリアンを毎日のように見舞いに来ていた。Uさんが言うにはボブは家にいる間中、そわそわして落ち着かない様子でリリアンのところへいきたがるらしい。リリアンに死期が迫っていることが分かるのだろうか。お互いの家は近所にあり、リリアンとボブは小さい頃からいつも一緒に遊んでいたという。毎日、見舞いに通ってくるボブのことを思えば、飼主さんもリリアンの安楽死を躊躇してしまうのだろう。
 その日も、点滴をしながらリリアンを見守ったが、涙が瞳を濡らし、突くような息づかいが痛々しい。時折、上半身を起こしてはあたりを見回すようなしぐさを見せる。治療を終えて病院へと戻る足取りは、いつもよりずっと重いものになった。
 数日後、再度、往診依頼があった。八月二十日の午前、診察の合間をぬって出かけていった。きっと最後の治療になるだろう…。食事を摂取できなくなって四日が経過していた。飼い主さんも看病で疲れ果てた様子だった。
「これ以上はリリアンがかわいそうですよ」
 とうとう飼い主さんにはっきりと伝えた。
「もう一日考えさせてください」
 飼い主さんは消え入りそうな声で答えた。
 翌朝、九時頃にリリアンの飼い主さんから電話がかかってきた。前夜は私もリリアンのことが気がかりであまり寝ていなかった。自分の手で安楽死の処置を施すのはとても辛いものである。
「これで楽になるよ。今まで良く頑張ったね…」
 飼い主さんには軽く頭を下げただけで、その場を後にした。
 あれから一週間が経過したが、未だに飼い主さんから連絡はない。おそらく、深い悲しみに沈んでいるのだろう。

 ここで少し話題を変えよう。
 人間の臨床医学の現場における二つの事実について述べることにする。一つ目の事実は、多くの癌が必ずしも不治の病ではなくなっているということである。早期発見の場合、実に九十%以上の完全治癒が期待できるようになった。特に小児の悪性リンパ腫に関して五年以上の長期生存が可能だという。治療困難と見られた病気の患者が治癒していく様子を見るのは感動的である。もう一つの事実は、日本人の四人に1人が癌で死亡しているという事実である。死に至る原因は発見が遅れたケースがほとんどだが、未だ治療の困難な種類の癌が多いことを忘れてはならない。現に肺癌や肝癌は年々増加傾向にある。

「医学は人間の生の質、いわゆるQUALITY  OF  LIFEを高めるためにこそ意味があるはずなのに、人生の決定的に重要な瞬間において、単に量的な延命のみに専念しかねない傾向が強まっているという自己矛盾はいま真剣に考えなければならないテーマだと私は思うようになったのである。末期患者の医学のあり方を考えることは、実に現代の医学全体を根源から考え直す事につながっていくのだという大事なポイントではないかと思う…」「死の医学への序章」柳田邦男著のあとがきより抜粋(1986)。

 獣医療に長年携わっている自分の内側にも未解決な事象と疑問が残っている。助けるのが仕事であるはずなのに、自分の手で動物の命を絶つという自然に反した行為。食事を摂ることもできず、身体が生きようと頑張れば頑張る程、呼吸は苦しくなる。力尽きるまで看取らなければならない飼い主さんも辛いが、治る見込みがない動物に対峙しなければならない獣医師も辛い。安楽死を選択すべきだと頭では理解できても、長い苦しみを与えてしまうことがしばしばある。いっしょに過ごしてきたペットとの別れが辛いのは、結局、人間のエゴだろうか…。
 人間の尊厳死は倫理、宗教、哲学等、様々な角度から議論され、賛否両論が渦巻いている。動物の場合はどうだろう。死の淵にあっても生き続けようとするだけの思考を持つことができるのは人間だけである。事実、現代医学を駆使すれば相当の延命治療は可能である。
 何も動物の命と人の命を区別しているわけではないが、果たして、物言わぬ動物が食欲も廃絶し、ただ苦しいだけの状態で生きつづけることに意義があるのだろうか。動物の延命に関しては人である飼い主さんと診断する獣医師が判断するしか手はない。飼い主さんに安楽死を決断させるのは酷である。できるならば避けたい選択にちがいない。
 もっとも望ましいのは、すべてのペットが苦しむことなく天寿をまっとうしてくれることだろう。そのためには、常日頃から予防をこころがけ、健全な肉体の維持をはかる必要があるが、果たしてそれは可能だろうか。やはり安楽死の問題から目をそむけることはできないだろう。

 リンダやラッキーの様に、生命に大きく関わる病気を経験しないまま平均寿命よりもずっと長く生きて老衰死しても、飼い主さんにとっては別れが辛い。愛が深いほど、悲しみも深いのである。ラッキーの飼い主、Sさんはいわゆるペットロス症候群のため、しばらく日常生活が滞ったという。その後、何度か電話を受け取り、話を聞いてあげるのが精一杯だった。臨床現場におけるもっともよい対応とは何か…。課題は、まだ残っている。

キーワード、一口雑学

1安楽死…動物に苦痛を与えることなく、死を誘致する行為。疾病で回復の見込みのない場合、実験動物を致死させる場合、動物集団の個体数を人為的調節する場合、ヒトに危害を与える恐れのある場合など動物の処分方法として麻酔薬などの薬物を用いる化学的方法と頚椎脱臼などの物理的方法がある。臨床の場では薬物による安楽死が一般的である。
「動物の処分方法に関する指針」(平成7年、7月4日総理府告知第4号)において動物の処分方法として安楽死を勧告している。

2ペットロス…ペットを失う事、また、ペットの死がもたらす深い喪失感の事で人とペットがより深く入りこんでいればいるほどそれが失われるときに生じるストレスは大きい。このストレスの直接の原因として次のようなものが考えられる。
①感情的に入り込んでいた関係の喪失。
②日常の生活活動が乱れる事。
③ペットを失ったことにより大切なサポートを一つ失ったという認識。
④外部のストレス要因に対する脆弱性の増大。一般的には、管理不能な状況や突発的な状況を考えている原因によってペットが失われた時の方がより重度のストレスが感じられる。

平成22年9月2日

以上の文章を書いてから、さらに三年の月日が経過した。毎年、黄金山が桜の帯に包まれる頃になると、必ず当時の記憶がよみがえってくる。

平野健