Something

Takeshi Hirano

冬から春に

2023年の2月は我が家でも日本水仙があちらこちらに可愛らしさと寒い日に温かさを存分に振りまいてくれました。早いもので3月を迎えました。1日は4月並みの温かさで日中は冬物のジャンパーを脱いでもいいくらいでした。
わたくし事ですが、毎年の恒例行事に3月までに胃・大腸の内視鏡検査を済ませます。今年は昨日2/28でした。いつも40分かけて病院に向かいます。後5分も歩けば到着です。

やれやれ。(絶食と早朝からの下剤でお腹は空っぽ。)小さな橋の手前に梅林があります。白梅が満開です。去年は気付かなかったのですが、何やらゴソゴソ動いてます。きっとメジロですよ。花の蜜を吸ってるんでしょうか?スマホのカメラが忙しいです。あとから、画面を拡大したり、縮小したり、左右に移動したり。

結局、見つけられません。何匹も写ってるはずなのに?この時はなんの疑いもなくメジロと決め付けてますね。小枝が揺れるくらい集団で花の蜜を飲みにきてる?それにしても既にメジロはわたしの幼少期にまで遡ってます。メジロは脳内にある古い小箱の蓋をあけてくれたようです。昭和30年代の記憶を呼び起こしてくれます。今、目を閉じてます。当時の事が、少しずつ出鱈目に蘇ってきます。現在の自宅のすぐ下の竹林、長屋、縁側、蚊取り線香、詰め将棋、スイカ、水鉄炮、釘刺し、缶蹴り、フラフープ、竹馬、パッチン、七輪、秋刀魚、のらネコ、水飴、紙芝居、鳥籠、メジロ、子供達、すり餌、とりもち、ガキ大将、ビー玉、、、チャンバラごっこ、、、

七輪、ネコ&秋刀魚、怒るおばちゃんの3点はわたしの脳🧠に即、セットででてくるのです。

週一回,月曜日に中国新聞に連載されています。村上保さんの切り絵とエッセイ、タイトル「あの日の風景」を4〜5年前から切り抜いています。わたしの幼少期が昭和30年代なのですごく郷愁を感じます。それにおおらかで?のばなしの?(現在は規則の多い時代?)

ウメは、バラ科サクラ属の落葉高木、またはその果実のこと。

春は繁殖の時期も近づいてくる季節。

その前にメジロが楽しみにしている花が咲きます。それが梅と桜です!

メジロは、鳥綱スズメ目メジロ科メジロ属に分類される鳥類。メジロは1年中、日本で見られる野鳥ですが、実は「冬」が一番、メジロに会いやすい季節だそうだ。冬から春には木の花を巡り、盛んに蜜を舐めます。サザンカ、ツバキ、梅、桜、アセビなどの花の蜜は特に好むようです。メジロは体長12cmほどでスズメよりも小さな鳥です。絶滅する危険性があるレッドリストの中の、軽度懸念動物に指定されているため、捕獲や飼育なども禁止されています。

メジロはその名前の通り、目の周りが白く、縁取られていることが特徴です。オスとメスで色味に大きな違いはありませんが、オスの場合はお腹に黄色の線が入っています。メジロはつがいでいることが多く、一度つがいになった鳥は相互で周囲を見張っています。雑食で様々なものを食べますが、特に好んで食べるのが花の蜜です。メジロは細く尖った嘴があるため、花の蜜を吸いやすい形状をしています。Wikipediaから

3月3日の節句

雛祭り(ひなまつり)は、日本において、女子の健やかな成長を祈る節句の年中行事。

雛飾り

気温も一気に上昇してきました。3月の気候として今年は10年ぶりの異常高温らしいです。広島地方の桜の開花も17日頃とか。昨年は確か27日頃だったか?

3月4日(土)
この日の中区の最高気温平年より1.5度低い11.4度。2月中旬並なみの寒さとなった。ふゆごもりしていた虫が地中からはい出だすとされる啓蟄前の今日、広島市中区の縮景園で松のこも外はずしがあった。

3月5日(日)

今日はスッキリと晴れて穏やかな空。
日の出 06:35、日の入 18:00,気温:最高17℃、最低6℃,降水量:午前20%,午後10%
朝から畑作業がはかどる。

3月6日(月)

日に日に春めいてきてます。
15:00の天気 晴れ 
現在の気温15℃
降水量:0mm/h

2023年3月6日は二十四節気の一つ『啓蟄(けいちつ)』です。
啓蟄とは虫が冬眠から目覚め活動を始める頃という意味です。

実際に虫が活動を始めるのは日平均気温が10℃を超えるようになってからで、鹿児島では2月下旬、東京や大阪で3月下旬、札幌は5月上旬頃に当たります。

虫が冬眠から目覚めるとそれを補食する小動物も冬眠から目覚め動き始めます。

うーん!あったかいな。春だなあ!
ここにも春を見つけた。

改めてスプリング

ボッティチェルリの絵画『春(プリマヴェーラ)』
サンドロ・ボッティチェッリ • Public domain

これも春だ! 「ubound」

わたしもジムで週二回やってます。スプリングはばねだ。跳びだそうか?春もspringだ

令和5年3月15(水) 記