Something

Takeshi Hirano

早朝の微睡

馬愛好家の宝庫(翻訳)

現在の眼鏡、勢揃い

この眼鏡の歴史は今からお話しする一冊の洋書の翻訳にリンクしてきます。
今のわたしは眼鏡が愛おしいのである。それまでは結構、粗末にしていたかな。無残にも押し潰してしまう事、一度や二度じゃあない。考えてごらん!わたしの一部である水晶体の濁りを見事までに矯正してくれてる。それが眼鏡なんだ。わたしは遂にわたしではないモノを愛おしいと感じるこころを手に入れたようだ。あとはこの愛おしいさが偽善によるものでないことを祈るばかり。愛しの眼鏡よ。眼鏡が答える。  
「あんたの事はなんでもお見通しだよ。」と

鞍(saddle)
馬愛好家の宝庫(翻訳)がbookになって私の手元に届きました。
私の背に半世紀、乗っかっていた鞍をはずしました。

約50年、先輩から頂いた英語本、ボロボロになってます。
Horse Lovers’ Treasury[1963]    
Murphy,Genevieve著

日々、少しずつ翻訳していく過程で筆記体で
写経ならぬ書き写しと文中に出てくる内容を調べ貼り付けているノート。

翻訳って一言でいってしまえば、正直言って難敵でした。私の英語能力ではとても歯の立つ相手ではなかった。しかし、何度も諦めかけるんですが後めたさやら悔しさが出没しての続行でした。第一段階、学生時代で既に歯が立たず、諦めかけました。それでも卒業後にもちゃんとバック内には原書を携えて広島に帰って来てました。

*余談ですがこの絵の私の頭に注目ください。
1973年、この頃はパンチパーマが流行ってました。わたしも流行に乗り遅れずです。
この頭、なんかお釈迦の頭( 螺髪)に似てるがきっかけです。恐れ多くもお釈迦様にあやかりたかったのでしょう。数年、この頭でしたかね。

さてと、わたしと共に自宅に帰ってきた相棒(本)はちゃんと本箱の一角を確保してます。あれでも開業当初は仕事もあまりないので時間はたっぷりなので原書に何度も立ち向かいました。その印象はありますが、成果はさほど残っていません。という事は訳した内容がけっして自分なりにも満足できてません。

「なんか意味ないことにチャレンジしてるかな?」が正直申して素直な気持ちです。自宅を建て直す時、当然ながら書棚の整理もし、かなりの本の処分もしました。表紙がない本でしたから、もしかして間違えて処分してしまったかもしれないと一抹の不安が生じ、書棚でハッとした事を思いだしました。ちゃんと存在してるじゃあないですか。胸を撫で下ろしました。しばらくの期間、翻訳作業してなかったということでしょうかね。本格的に再びその本に向かおうとしたきっかけはというと、なにせ中途半端になっている翻訳作業が頭の中にはしっかりと残ってますから。情けなくて。それが3〜4年前ですかね。時代はかなり変化してます。スマホの出現からアプリで「すぐ翻訳」を見つけて、こいつに頼るかの思いで飛びつきました。

再び、あの本、ちゃんとあるかな?で階段廻りにつくってる書棚を探索し始めました。
どこに置いたかな?

あった!あった!でした。
書棚の一角で表紙が茶色の原本を見つけました。それからの翻訳作業は急ピッチに進みました。兎に角、内容の理解は二の次で機械的に英訳してみました。総ページ数300枚ちょっと。あと100ページ残すところまできてます。2022.1のことです。八合目までなんとか来て山頂が見えてきた感じがしたので、やれやれでした。

少し気持ちにもゆとりが生まれてきたのか従来通りの内容の吟味も加えての同時進行で実行しだしました。それにしても総ページ数は私にとり、膨大な量です。よくもまあ、ここまでやったなあと自らを褒めてやりましたよ。だけどね、明らかに力量不足を認めざるをおえませんでした。人に言われるまでもなく、わたしの翻訳では無理な事は自覚してました。
そういった心境でいる中、久しぶりに同級で私と同じく馬術部だったSさん(農業高校の先生)から2022.3月21(日)昼時、電話が入りました。「元気?」から始まり、なんやかんや近況報告をお互いする中で8割がた出来ている馬本の翻訳の事を偶々、語った。

すると「即、やめとけ、兎に角、やめとけ」だった。「おれも過去、翻訳にチャレンジした事があるが、兎に角、やめとけ」「難しいのは今やめた方が良いと思います」だった。
わたしの返事も素直に「わかった、そうする。」のみだった。

さてさてその後、翻訳は諦めたものの長年、習慣にしてる英語勉強は診療の合間でも下記photのように筆記体で愛用万年筆でただただ描き写ししていた。不思議とその作業が自分には心地よい。今でも続けてます。偶々、当院のホームページ等でお世話になっている(株)アークのAさんが昼時に立ち寄られ、テーブルの上にノートやら、原書を広げてる状態のなか「先生、英語もやられるんですか?」と尋ねられたものですから、翻訳の悪戦苦闘の様子を伝えました。すると、内の職員に英語ができる者がいますが一部訳させてみますか?」という事になって来て、試しにお願いして見ました。10日位でpdfで帰ってきた文章を見て、わたしのものとは明らかに雲泥の差のものでした。これならそれなりの形になるぞと自分なりに納得し、諦めた翻訳本の復活となり約1年かけての作品が手元にあります。良かった。

わたしは現在、相変わらず愛用の万年筆で筆記体で描き写しと新たにユニークな単語帳作りをマイペースで楽しいんでいます。

愛用の万年筆

愛用のダイソーノート

大学時代、確か帯畜大の2年生の頃、ある日、Y先輩(馬術部の4年生で同室のA先輩と友達だったのでしょう。)が尋ねて来られ、表紙の無い一冊の洋書をわたしに静かな優しい声で「よかったら訳してみたら」と手渡された。パラパラとめくって、気楽に「やってみます」って言った様に思います。部屋の先輩のAさんとYさんは草地学科の同級生で部屋の後輩に馬術部員がいるよって事だったんでしょう。挨拶代りに持参くださったのでしょう。私も生活費稼ぎに中学生の家庭教師のアルバイトをしてましたので、多少なりとも英語に馴染みがあり、なにも考えず、ひとつ返事をしたんですね。当時20歳、このブログ書き始めた今朝、現在74歳です。翻訳本「馬愛好家の宝庫」10冊が昼頃、届きます。感慨深く、感無量でもあります。1冊を札幌で健在のY先輩に届けるつもりです。

出来上がってきました。

この表紙付きの本は2022.12.3にアマゾンから購入。中古の本書が一冊だけあり、本当にラッキーでした。その後、何度かチェックしてるのですが「以降、取り扱いしてません。」の表示を見るだけです。
さらに驚く事がありました。送られてきた本は中古とは思えないくらいきれいです。一度も開かれてないくらいです。表見返しの右方に1964.10に父母から娘さんなのかな、ジェニーへとある。御両親からのプレゼントだったのかな?本が出版された年の様です。又、わたしが大学2年の時に先輩から頂いたのが1968年という事になります。先輩はどうやって手に入れられたのかな?それにしても、紆余曲折 しながらの半世紀の旅、この本とかかりあえてよかったですね。見返しのメッセージになんとも不思議な縁なるものを感じました。

旅の共「トランクと帽子」

令和5年2月28日 記