Something

Takeshi Hirano

診療記「片翼のトビ」から

午前中の診療を終えて週一回、昼食はあつあつ屋のお好み焼きが定番になっています。
寒い時期ですから栄養もいいし、体はあったまるので最高です。
あつあつ屋は大洲橋のすぐそばで川沿いのマンションの1階にあります。ずいぶん前からよく行ってます。
いつもなら食べ終えてすぐバイクでマツダスタジアム近くのジムに向かいますが、今日は比較的あったかくもあり、昼時で食べ終えた満腹感も加わりのんびりした気分になったのか、川沿いの風景をあちこち目を走らせてました。
いつすり替わったのか何羽ものトビがそら高くピーヒョロ、ピーヒョロと鳴きながら舞ってる光景にひたってます。20数年前のころのこの位置の風景にです。
私の幼少の頃はさらに貝掘りや魚釣りで賑わってる光景もありました。トビの舞いと鳴き声は目を閉じれば即、映像として出現してきます。今では幻の風景です。
ある時、前述のあつあつ屋のあるマンションの住民が一羽の傷ついたトビをつれ動物病院にやって来ました。25年前の事です。
動物の臨床医として実に印象深かったものですから当時、診療記の中で「片翼のトビ」というタイトルで記載しています。
再び読み興し、今更ながら、刻々とかわる自然環境の変化に驚かされてます。
今年の初詣祈願で毎年のように各地、自然災害に晒されているで、どうか平穏な日々が送れる環境になるよう、皆さん祈願されているのでは。しかし、今年も年初め早々から新型コロナウイルスの世界的規模の蔓延の危機に晒される状況下です。
どうか、人間の叡智を結集して一日でも早く終息することを重ねて祈るばかりです。

somethingに”片翼のトビ”を復活させます。

 トビは翼を手一杯に拡げ、青空高く、気持ちよさそうに地上を見下ろし、最近、流行のスポーツカイトのように漂っている。時折、ピーヒョロ、ピーヒョロと呼びかける。今は失われつつある地上の緑のジュウタン、すみきった天空、それにトビの雄姿が絵になる。

 トビはワシタカ科のトビ属に分類されている。ところが、多くのワシ類と違って、地上の生きているけものや鳥類をおそって捕まえることをせずに、人間が捨てた肉片や自然死あるいは半死状態のトカゲ、カエル、ヘビ、魚、ネズミなどを食糧にしていて自然界の掃除屋として、人間の生活する地域に分布しているとされている。また、ピーヒョロと鳴く声が愛嬌があるせいか、トンビという名称で親しまれている。しかし、国土の開発と共に地上の風景も変化してきた。それと並行してかトビも減ってきているように思われる。

 最近、私の動物病院に交通事故にあったトビが瀕死の状態で運び込まれた。すぐに救急処置を施し、酸素ボックスに入れてやり様子を見た。連れてきた人は大洲町の川沿いのマンションの5階に住むTさんという年配の女性だった。そのトビはいつも定期便の様に餌を取りに来ていたらしい。その方は他のトビを含めて10年近くも餌を与え続けていると言う事だ。餌の与え方はベランダの手すりに鶏肉や魚の切り身を置いてやったり、川に向けて投げてやる。今回はベランダの手すりに鶏肉を置いたらしい。ところが、餌は運わるくひらと落ちてしまった。トビはTさんが餌を置いたのを近くで見ていたのだろう。落下する鶏肉めがけ急降下。このトビは他の誰よりも餌をキャッチするのが上手く、名手だそうだ。今回に限って、上手くいかず乗用車にはねられてしまった。自分のせいでこんな事になってしまったと、彼女は泣きながら説明していた。トビは翌日、ショックの状態から脱したのか、元気を取り戻した。再度、傷付いた個所を詳しく確認した。左の翼の付け根の皮膚が破れ、複雑に骨折した骨が露出していた。骨にはステンレスのピンを挿入、

細いワイヤーを巻いて固定をし、筋肉や皮膚を糸で縫合した。そのうえからギブス包帯を施した。治療のかいあってか、トビは日増しに回復して、両足を持つと大きな翼を拡げて見せてくれた。これなら、あと2週間もすれば、大空に帰れるねと、面会にやってくるTさんに伝えた。

 ところで、このTさんは非常に遠慮深い方で、いつも申し訳けなさそうな表情でトビのいる入院室に入って行き「ごめんね。ごめんね。」とトビに話しかけて、好物を与え、身のまわりの世話をして「宜しくお願いしますね。」と言って帰っていくのが日課となっていた。私はTさんに対し、犬や猫を連れてこられる飼い主さんとどこか違った不思議な雰囲気を持った人だなと思った。いつか機会があればトビの餌付けについてもっと聞きたいと思っていたので、Tさんの言動には特別気にかけていた。

 ある時、それとなく餌付けを始める動機について尋ねてみた。すでに7年前に他界されたご主人Hが大附属病院に入院中、同室の人がトビに餌を与えているのを見て、その光景が実にほのぼのとしていたので、自分も退院したらやろうと思ってたらしい。住まいが川沿いでトビがいつも食糧を求めて飛来してくるのを見ていたからのようだ。餌付けは第1日目から成功した。トビは川をめがけて投げた餌を上手くキャッチした。それから10年間、毎日、餌を与えている。

 話を事故のトビに戻すと、順調に経過しているものと思っていた翼がギブスを外してみると骨折が上手く治癒しておらず、残念だが断翼しなければならなくなった。気が重いが手術をした。このトビは片翼になった。生きていくのには人の手が必要だ。野生には戻れない。大空に帰れない。「飼ってやりましょうよ。」「借家だから、難しいんです。」「ベランダに大きめの鳥小屋を作っては?」「狭くても、きっとわかってくれますよ。」と私とTさんはいろいろと迷った。将来が決まるまでこのトビの入院暮らしは長引いた。

 ある日、Tさんが大きな声で「先生、いい所に行くことが決まりました。」と言いながらやって来た。そこは広島西部の山手の、ある公共施設で、畳2枚分の部屋に置いてもらえるそうだ。Tさんは必死で行く先を探していたのでしょう。先ずは一安心しました。もう大空からピーヒョロと呼びかけてくれないが、こんな形で新天地に旅立っていった。幸せにやってくれればの思いが残った。

平成5年9月の診療記から

令和2年2月15日 記