Something

Takeshi Hirano

日常から創出されるポンチ絵1

私の中で、再び「さまざまなこと」が始まったのは、1999年、夏のことでした。

自宅近くで借りた畑での作業、町内のソフトボールチームへの参加、若い時分に習っていたギターの再練習、日々の感想をつづった絵日記。その他、数え上げれば十指に余る「さまざまなこと」を、思いつくままに開始しました。

それが何がしかの精神的変化に基づくものなのかというとそういうわけではないです。やがて、拾い集めた「さまざまなこと」は、否応なく私のまわりにうず高く積まれることになり、このうず高く積まれた私の「さまざまなこと」、つまり日々の中でナントハナシニ積み上げてきた日常の副産物・・・を時折り、ぼんやりと眺めることは、私にとって、いつしか、この上なく心地よい習慣となってます。

1.「何を思うサチ」

サチが空を見ている。                                                    

ぼんやりと、ただ上目づかいに虚空を眺めている。

その姿は、妙に感慨深げだ。

サチには、そういう魅力がある。                      

2.「トランクと帽子」

言うまでもなく、トランクには旅の小道具をつめる。

ある日、「どこか遠くに行きたい」と考えた。そして、その衝動が一枚の絵を描かせた。

ふたつの帽子は、旅立ちたい自分と旅立てない自分をあらわしている。

背景に高原の緑と海の青を配し、アトリエの小さな窓から外を眺めて嘆息した。

3.「二尾のイワシ」

目の前で二尾のイワシが食されるのを待っている。すばやく万年筆を走らせ、色鉛筆をとりだして彩色する。

一分足らずの間に、それらをやってのける。はやくしないとイワシが冷めるからだ。

4.「なによサチ」

いったい何を考えているんだろう。

ぼんやりと寝そべっているサチを見るときは、いつもそう思う。

とらえどころのない表情が、たまらなく愛らしい。何かを見ているようでもあるが、何も見ていないようにも思えるサチの視線。そんなサチの目を描くことが好きだ。

5.「自画像」

私の顔は入り口だろうか、門だろうか、社会に向けた看板だろうか・・・と悩むのである。

ただ、ひとつだけ確かなことがある。私は困ったときに自画像を描く。だから、私の描く自画像はいつも困っている・・・。

6.「フォービズム(野獣派)」

単純化はフォービズムの特色である。

だからといって、この絵がフォービズムだというわけではない。この船のおじさんから蟹を買って、家に持ち帰り、野獣のようにむさぼり喰った。わたしのフォービズムとは、つまりそういうことだ。

7.「好人物の好日」

江田島に狂犬病の予防注射にでかけた。

波のおだやかな好日である。

好人物にちがいない役場の人たちがわたしを補佐する。好人物の好日は、何事もなく過ぎる。

わたしにお礼を述べて、彼らの一日は終わった。むろん、自分たちがモデルだとは知る由もない。

8.「モデルになれないサチ」

めずらしくサチが、わたしの前でジッとしている。サチを丹念に描こうとするのだが、どうもうまくいかない。

モデルのようにジッとしているサチを、うらめしそうに眺めながら、なまめかしい桃色で背景を塗りつぶした。それは、私の苛立ちの現れである。

9.「対岸の暖色」

冬の桟橋に釣り人が集う。

寒くて凍えそうだ。

それでも釣り人たちは、いつまでも釣り糸を垂れている。

あんまり寒いので、対岸に暖色を配した。

釣り人たちに暖をとってもらうためだ。

10.「ニューヨークのビル」

地球儀のこちら側に、2本のボトルが立っている。地球儀の向こうに夕焼けを描いた。

そして、少し切なくなって、色鉛筆を置いた。

ニューヨークのビルのことを思い出したからだ。

11.「青の時代」

ピカソはある時期、青を多用していた。

いわゆる「青の時代」である。これはわたしの青の時代の代表作だ。菩薩様のまなざしは、いつもあたたかく、強い母性を感じる。その表情を描くことは、わたしにとって子宮への回帰に他ならない。

12.「自足」

自分で必要を満たしているという意味ではない。自分の足という意味である。

実は自分の足でありながら、自分の足ではない。昨年亡くなった恩師の靴をはいていたのである。

13.「左手」

左手を見ながら、右手で描いている。

急がないと、指が燃えてしまう。

ところで、わたしは左利きだったはずだ。

いや、絵は右手で描くのである。

手術でメスを握るのは左手だ。

おっと、はやく描かなきゃ、指が燃えてしまう。

14.「共和国の大地」

やはり、共和国の大地はどこか違う。

北海道に帰るたびに、そう考える。

維新の折り、榎本武揚が夢見た北海道共和国。

だれしも絵空事とは思わない。

何故なら、共和国という言葉にそむかないだけの説得力が、この大地にはあるからだ。

それほど、彼の大地は雄大なのである。

15.「淡々」

干し柿をつくっているのは母だ。

母は淡々と作業をこなし、ときは淡々と過ぎていく。その光景は、時間という概念がそれほど重要ではないということをわたしに教えてくれる。

孫悟空になったつもり?過去、現在、未来は同時に一瞬のなかに存在してるじゃあないか。

さて、宇宙を旅してみるかい?時空の旅を。「ちちんぷいぷい」と・・・

1999年から2025年の旅から

令和7年7月31日(木) 記