ホテルから眺めた風景
死海にプカプカ浮かぶ。
8月1日
Dead Sea(死海) 死海はイスラエルとヨルダンの国境沿いの海面T 398m,世界で最も低地にある塩水湖。塩水湖(えんすいこ)とは、塩水をたたえる湖のこと。淡水をたたえる湖である淡水湖と対になる。明日は帰国。
8月2日
am3:00 にmorning Call,am4:00 Holidy inn Plaz Hotelを後に,am7:00, Telaviv 空港から一路、日本へ。am9:00 成田着。pm5:00,自宅に着く。頭痛と腹痛で苦しむ。
7月中旬から2週間の旅の終わり。イスラエルでの世界放射線学会への参加であった。
8月3日
イスラエル・ヨルダンの旅、それなりの収穫はあるものの、私の場合、外国旅行では必ずと言っていいほど体調を崩す。特に消化器系が弱く、下痢と腹痛に悩まされる。印象深かった事は学会はさる事ながら、エレサレム市街地での自爆テロ、イエス・キリストの十字架への道(ピアド・ドローサ)を辿り、ゴルダゴの丘に、ヨルダンのペトラ遺跡を目指して2時間、皆んなで歩いた事などがある。
2010年の8月
こうして再び、当時の日記から色々な事を思い出し、複雑な気持ちで整理し始めたようです。13年前の1997年の Augustを。あの頃は仕事前に中学時代の恩師であるM先生と有志達で早朝の勉強会をするのが日課だった。私は外国旅行となれば、必ずと言っていい位、時差による身体の変調が普通に戻ってくるのには相当時間がかかったのを思い出した。
1997,8月4日
20年前、I V R A(世界放射線学会)が西ドイツで開催され、日本から6名で参加、小動物会業者は札幌の T,帯広のN,広島の Hの3名、日立レントゲンのY,競馬会のY,恩師である Hでした。わたしにとり、初めての渡欧でした。それから3年に一度の学会参加は続け、この年(1997年のイスラエル)での学会参加を最後にしました。
自作の「The Gate to Something 」の看板にむかって、人生の「青い鳥探し」。還暦も過ぎてきて人生の終焉を意識する事が多くなってきた。暑い真夏日が続いている2010年のAugustは例年以上の酷暑で西日本でも一番暑い日を記録している。ちなみに福山では38.7°cを記録した。この猛暑は盆を過ぎても続いてる。先日、Big Byke「 T&K」に跨り、出来て間もない広島高速道路に入り、空港の先の本郷町まで走らせた時の事である。自分にとっての80〜90km/hは恐怖心と隣り合わせだ。それにトンネルも苦手で進入には毎回、躊躇してしまう。そのとき、急に思い出してしまったのである。1997年8月31日,英国王妃のダイアナがイギリス市街地で遭遇した交通事故死のことを。
どうした事かそれ以来、わたしの内部に異変が発生したようで、毎年8月が近づいてくると胸がしきりに締め付けられ、1997.8が炎となり、燃え盛り、「熱きAUG U S T」になり、一年間の集約月となっているようで、自問自答しながら、何かを見つけ、自分自身を納得させては再スタートさせているようだ。現在、2022.8である。毎年の恒例行事のようなものだ。1997.8から、25年もの月日が経過しようとしてる。私、もうじき74歳になろうとしてるが未だ「青い鳥探し」の日々。Somethingブログに委ねてるようだ。どうやら、当分、まだまだだ、自分探しの旅の方は続きそうだ。 2022.8.31ゴルバチョフの訃報が入った。ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフは、ソビエト連邦及びロシアの政治家である。ソビエト連邦の最後の最高指導者であり、1985年から1991年までソビエト連邦共産党書記長を務めた。生年月日、1931年3月2日-Wikipedia
1997.8月5日
腹痛、なおも続く。寝不足で身体、衰弱気味。ご近所の T内科で点滴を受ける。その後、動物病院の方へ。約3週間ぶりの出勤である。看護師のFを見てホッとするやら、懐かしい気分である。副院長Kらが留守をしっかりと守ってくれた。有り難たいことだ。1日中、大雨の日だった。テレビでは世界陸上を放映している。
わたしは体調がなかなか戻らない。つくづく、自分にとっては学会には使命感があるものの、外国旅行は厳しいものがある。
8月6日
52回目の原爆記念日、女優の吉永小百合さんの原爆の詩の朗読のテレビ放映をみる。久しぶりにM先生、職員、女房、自分で朝の勉強会が病院の和室で行われた。この勉強会は私が生命あるものに直接触れる職業をしている中で発生してくる問題を近所にお住まいの中学の恩師M先生に時折、お会いして、相談している時、勉強会をやろう。「青麦の会」にしよう。という事になって、希望者が朝の6:00に病院2階の休憩室で、30分程度集うことになりました。今回のテーマは自己を見つめる力量のこと。「自己を見つめる力が文化に繋がる。ヒトだけが自己を省みることができる生き物」と。
イスラエルの土産を職員に渡す。オリーブの木で出来ているキリストの像、キーホルダー等。
イスラエルで訪問した嘆き壁「Walling Wall」エレサレム旧市西壁の一部。当時、ヘロデ大王が神殿の境内拡張のため構築したもの。四世紀以降のユダヤ人が金曜日の午後、この場所でエレサレムの滅亡を悲しみ、聖地回復を祈る習慣からの呼称の事です。
8月7日
価値観の違いは実にもどかしい。意志が届かないことは悔しくもあり、腹立たしくもなり、孤独にもなる。自分の物差しでは相手をはかれず、最後には己に跳ね返ってくるだけである。
台風11号、接近中。
8月8日
今回の腹痛の原因ではなかろうかと、大腸菌の溶血毒の検査をしていたが、陰性との電話を内科医の T先生から受け、一安心でした。義弟のOさん、結石症で入院との事。妹のYから聞く。朝日アエラの切り抜きを始める。長崎、明日、原爆記念日。台風それる。
人間の体の70%は水でできてます。あなたが汚した水は、いつかあなたを汚すことになります。きれいな水を次の世代に。
AERA No.32,’97.8.4から
8月9日
青麦の会。ロダンの考える葦…
パスカルの「パンセ」の中にある言葉〜「人間は自然のうちでもっとも弱い一本の葦である。」と「考える」という人間の特性の偉大さを説いた。
8月10日
職員へのちょっとした注意でも、いつも後悔が残ってしまう。仕事上のことだから当然と思い直してるけど、未熟なものだから、つい感情がでてしまう。この部分が気持ちに引っかかりを残す。多くの人を雇用してきてますが、人を育てるには実に非力だ。「自分の姿を相手の表情にみるか?人は鏡!」と言い聞かせる。結果的に自我が自分を苦しめ、人をも傷つける。久しぶりに中学の同級生のNくんがやってきた。M先生から教え子の弁護士をしていたFさんの追悼誌「光芒」を頂く。盆の帰省ラッシュ始まる。診療後、中学の同級生の Uさんの音頭でK,Y,Iで Uさん家に集合。生徒会長をしていたIは現在、産婦人科の先生になっている。当時と同様、エネルギッシュだ。世界陸上最終日。M先生が当時、中学生のわたし達に、毎日、放課後、色々な事を話してくださった事が今でも皆んなの心の中に生きているようだ。しかも、社会人になった今でも直接指導を受けられる自分は本当に幸せものです。人、動物、生命あるものを扱う動物病院をやっているので、命の大切さをしっかりと、わたしにどうしても伝えたかったのだろうと述懐してます。太田川の花火大会。10時頃、にわか雨、仏の顔も三度… There is limit to one spatience.なぜか、仏像を描きたい。眼球が痛い。東洋温泉で疲れが取れる。
8月11日
午後から再び眼球が痛く休みながら診療。副院長のK先生、体力の限界。盆休み、しっかりと休んでもらおう。看護師Fが頼り。息子の Dの腹痛は自分とは別ルートの食中毒のよう。新病院建設計画が具体的になり始めた。器に見合った度量が必要だ。ここは踏ん張りどころ。副院長のKにもこころ構えを確認。世界陸上、棒高跳びのブブカ6m01で優勝。
8月13日
朝の勉強会が待ち遠しい。ここ最近、院長としての無力さからか、M先生に相談する事、多々…
病院前に子猫が4匹が捨てられている。盆休み前だ。どうする?とりあえず飼うしかない。肺水腫のシーズーの急患があり。診療混雑する。午後から女房の運転で新祇園街道を通り、安古市のI先生の実家がある伴に行く。そこに建設されている”愛玩碑”にお参り。盆中の診療は自分だけ。午後からは仕事なし。
8月15日
出産予定の犬、未だ兆候なし。午後から親戚のO夫婦、捨て猫を見に来る。
8月16日
ヨーキーの出産、無事終了したのでほっと。女房Kの運転練習に付き合い空港へ。空港レストランで昼食。帰りは志和町へ。湖水園の露天風呂で日頃の疲れをとる。22日の帯広への航空券を購入。終日、Kの運転。彼女、余程、車好きだ。
空港レストラン
8月18日
Mくんの指導に悩む。方向付ける糸口がみつからず。彼の中の苦しみを引き出せない。息子達のことも実は何もわかってない。久しぶりに二人の息子と食卓を囲んで会話がはずむ。「かあさん、年とったのう」って5〜6年前のビデオテープをみて長男の Dが言ったようだ。私は21日から帯広行き。獣医師会から回ってきてる論文査読になかなか気が乗らず。なんとかこなす。午前中、曇り、午後からは晴れの好天気。当院第1号の旧そ看護師のBさん、愛犬ベスパを連れて病院に立ち寄る。職員達と一緒に昼休み時間を利用して府中町にあるエンパイアに行きボーリング2ゲームやり懇親をはかる。突然、pm6時頃、安古市のI先生がやって来て、久しぶりにスタンドで一献、その後、カラオケも。終日、忙しい日だった。朝は相変わらず、4時起き。
8月20日
イスラエル後遺症が未だ続いているよう。体調が思うように回復してないな。Mくん、大分、仕事に意欲が出てきたようだ。こちらの努力が報われてきたかな?明日は帯広へ。恩師のH先生の新事業がスタートする。お役に立てる時がきた。開業して25年の歳月が経った。お陰げさまで日日の激務を真剣にこなす中、仕事を楽しんでいる自分を見つけてるんで。少し、余裕が出てきてるかな。早朝の先生の講義がこころの支えになってるようだ。朝の勉強会が待ち遠しい。
8月21日
帯広へ。2泊3日、H先生の夢の仕事の旗揚げ。スタートの日。H先生から受けた臨床獣医学への教えと中学時代にM先生から日々、生命の尊さを教わった事がわたしのこころのなかで融合し、自分のエネルギーになり、心の支えである事に違いないが、時にはどちらにもなれない自分がもどかしくなることもあるが、一方、どこにもないちょっとユニークな獣医臨床を世に出さないと意気込んだりもしてる。それにしても、毎日、有り難く不思議が頂ける。幼児の様な無心。我欲なし、真実一路だ。奢るなかれ。今、いま、ベストをつくせ。
8月22日
帯広の天候、曇り。
女房の里のMに宿泊。8時に起床。自分の日常では考えられない。よく眠った。後輩のN先生の動物病院に行く。昼食は母校である帯畜大の生協で。女房のかつての職場の同僚 Tさん、学生時代からお世話になった散髪屋さんに久しぶりに会う。pm2:00〜6:30,マルチメディア推進協議会。pm7:30,帯広駅近くで会食。先輩のFさん、Oさん、後輩のSくん。pm9:30,先輩のOさんとH先生宅に泊まる。
8月23日
am5:00起床。帯広の朝はヒンヤリして気持ちがいい。新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで、広島にいるM先生らとの勉強会の事を考えているようだ。
広島、気温28°c,旅疲れ。こころにも余裕が無くなる。つい感情が先行する。相手を傷付けてしまう。要注意。H先生、来年の3月で退職。さらに大いなる旅立ちが待っているようだ。
8月26日
曇りのち雨。8月分の給料、院長室で職員一人一人に手渡し。やれやれ、今月も払えた。経営者という役目は重たいよ。慢性腎不全のネコが入院室で死期が迫っている。早めに病院にでかける。
8月31日
今月、最後の日曜日、午前中の診療は副院長のK先生に任せ、女房と福富町へ足を延ばした。パン工房、巴里で昼食、志和の里で温泉に。サウナのテレビで突然の訃報が飛び込む。英国王妃、ダイアナ、イギリス市街地で交通事故死。13年経った今でもこのごろになると記憶が鮮明に蘇る。改めて、私にとり「A UGU S T」は一年で一番緊張する月で、常に初心に帰る月だ。
今回も25年目の2022.8月の気持ちを加味した。9月8日、エリザベス女王が96歳でにお亡くなりなられた訃報が入った。
お釈迦さま(サボテン作)
地上の果ての隅々まで慈悲の眼差しをそそがれる仏様。わたし達すべての生き物は大きな御手のなかでいかされているのです。
太陽をイメージするひまわり。黄色は太陽であり、希望のシンボルです。人類の愚かな行為(戦争)はやめて。
令和4年9月25日 記